ヨーガとの出会い(お便りより)

 ヨーガを愛する方が使う言葉で「ヨーガと出会った時」という表現があります。
「ヨーガを始めた時」ではなく、「ヨーガと出会った時」と表現するのにはきちんとした理由があります。「ヨーガとの出会い」を心を込めて文章にしてくださった方がいます。ご本人ご了承の下掲載させていただきます。
……………………………………………………………………………………………………………………
 いつの頃からか、なんとなくさみしい感じ、何か物足りないような感覚、いつも何かを熱望しているような感じを持って生きてきました。それが何なのかわからず悩んでいましたが、ヨーガを始めて、もしかしてずっと欲していたのは、自分自身との身体とのつながりだったのかもしれないと感じています。
 初めてヨーガと出会ったのは、高校3年生の頃でした。幼い頃から体調を崩しがちで、症状の出方や様子が違っても全て同じ薬を処方され、しかもあまり改善が見られないことに疑問を感じていました。その時にはもう、私にとって身体はとにかく重荷なものになってしまっていました。何をしていても、集中したり夢中になっていると大抵炎症によって中断させられる、いつも身体のせいで完成が遅れる、集中が途切れる、身体があるって、なんて大変なんだろうという思いから、いつの間にか私の中で身体は自然と一体ではないもの(常に違和感のあるもの)という扱いになっていました。頭では精神も身体もどちらも必要なもの、両方あって自然なものと分かってはいながらも、どうしてもうまくいかないことから、いつの間にか身体を厄介なものとしていました。
 しかし、厄介なもの、わからないもの、としてしまうことで、色々なストレスや処理しきれないこと、感情などを、とにかくそこに投げ入れて、そうなると、もうわからないもののままおいておきたいという気持ちから、身体にはかなりのストレスを強いてきたように感じています。
 ヨーガと出会って感じたのは、素直に”楽だなぁ“という感覚でした。楽しさも含めてこの“楽”という感覚には、今でも変わらず大きな喜びと満足感があります。ずっと心の中にあったさみしさ、物足りなさについて、それまでは、身体がその解消を妨げているのではとさえ感じていたのが、この感覚を得た時にさみしさの理由は、身体とうまく調和できないことにあるのかもしれないと思いました。出産を経て育児も始まる中、ヨーガと再会出来た時には、自分の身体が機能の整わない幼い子供のように感じられ、それを辛く重荷に感じて、いつもいつも置き去りにしてきたように思えて涙が出ました。
 身体は常に反応していて、知ろうとすればするほど応えてくれていると感じます。同じ呼吸をするでも、身体が幸せであるように呼吸をする、身体を慈しみ、全体を愛せること、自分で自分を癒してあげられることに驚きと静かな感動を覚えます。
 ヨーガには、自然への導き、調和、新しい状態への変化や可能性、生命の満足感や深い安らぎがあると感じていて、日々の中で少しでもそういうものに触れて生きられることを望みます。忙しさの中で、ついそういうものと離れがちになったりしますが、そういう時に漠然とした不安やさみしさにおそわれたりするのかなと思います。一度に大きな変化をすることは難しいですが、ちいさな変化を大事にしつつ、呼吸するようにヨーガと共にあれればいいなと感じています。
……………………………………………………………………………………………………………………
ありがとうございました。

関連記事

PAGE TOP